JR東海完乗へ~美濃赤坂と武豊へ…~

どうも、研究室の飲み会⇒5時までカラオケしてたら、見事にポスター発表の手伝いを寝坊したnaka-staです…
さてさて、一週間がたってしまいましたが、表題のとおり、美濃赤坂支線と武豊線に乗ってきましたので、その記録でも…

今回は、時間の有効活用と、予算の低減を目指して、ながらと高速バスで往復することに。出発は5月23日日曜日、筑波大学から高速バスに乗り、東京駅へ…

東京23:10→391M 快速ムーンライトながら→6:52大垣

指定券の座席は8号車。乗ってからはじめて、名古屋で切り離される車両ということに気がつく。そのせいなのか、全体的なのかはわからないが、座席2つで1人でさらりと埋まる感じ。小田原までちょこちょこ増えるが、ほとんど変化がない。三島から静岡まで、隣にサラリーマンっぽい人が座るも、指定券を持っていない感じだったが、車掌がチェックに来たのは静岡でてから…
シートがなまじよいと寝付けない悪い癖が出て、寝不足にもかかわらず浜松あたりまで寝付けず、刈谷あたりでは目をさます。名古屋までは始発列車の役割となりどんどん増え、最後はデッキに10人くらい立ってた。名古屋の移動もスムーズで無事に座れて何より。



大垣07:05→4203F列車→07:11美濃赤坂

大垣駅では、米原・大阪方面へ向かう人たちを横に、美濃赤坂行きが待つ3番線へ。乗客は一人きりだったみたいだが、荒尾・美濃赤坂ともホームに人は多かったので、早朝の逆流動の模様。


●美濃赤坂駅

美濃赤坂駅は無人駅。券売機等も置いてないので、車掌から買うことになるのかな。かつては有人駅であったと思われるよう、駅舎は古いがしっかりしているように見えた。




隣には貨物ホームなども見えるが、あまり活発に使われているようには見えない…




バスに乗るために、駅から北上すると、昔ながらの街並みが。中仙道の赤坂宿としてにぎわった街だったらしい。



赤坂丸本前07:29→名阪近鉄バス 大垣駅行き→07:50大垣駅

赤坂丸本前のバス停は、赤坂総合支所方面のみにバス停が設置されていて、大垣方面にはポールがない。地元の人(と思われる)がいたので、おとなしく待てたが…。同様な形式は、伊勢の祖父母家最寄のバス停にもあったので、大きく混乱はしなかったが。
1時間足らずで大垣駅に戻る。ロータリーを歩いていると、養老鉄道の大垣駅舎が。養老線に乗りにきたのが1999年8月で、当時は近鉄。ロゴマークは色と文字を変えただけだった。



大垣08:02→5310F 新快速→8:47大府

新快速列車は8両にもかかわらず、始発の大垣の時点ですでに立ち席が出ている感じで、名古屋まで増加。クロスシートでは、ぐっすり寝れるらしく、常にうとうとしながら大府で必死に降りる。

大府09:14→4514D 区間快速→09:14武豊

大府では、30分近くあったものの、途中下車のできないきっぷなので、おとなしくホームで過ごす。配線的に、東海道上りが追越列車を設定しにくい(武豊線ホームを使えばできる)ため、東海道下り(島式のため、追越可能)ともども、追越設定はやっていない模様。かわりに、下り名古屋方面では、武豊線からの区間快速が進入して、その横を特別快速が通過してゆくという光景が見えた。そんな感じで名古屋からの区間快速を捕まえ、一路武豊へ。
武豊線で使用されているキハ75系は、快速みえでよく乗っている車両で、個人的なお気に入り。快速みえより長い4両なのが、若干負けた気がしますが…。大府の時点で、転換シートはさらりと埋まっている感じだったので、たってすごす。2つめの緒川で、少しすいてきたので、着席。結構な区間が複線用地が取って見えたが、複線化はないだろうなぁ。そんなこんなで、武豊駅到着をもって、JR東海路線全線完乗を果たす。




武豊駅には簡易TOICA改札とチャージ機が。ちょうど、大垣からSuicaで入場していて、残高が足りなかったので、チャージしてみることに。カードをおいて、お金を入れると、トレーがしまる仕組みでちょっと面白かった。履歴も印字できたけど、やり損ねてしまった…




こちらが、簡易TOICA改札。Suicaの簡易機のポールのイメージがあるので、なんかしっかりしている感じで斬新に感じたのは俺だけだろうか…




そして、駅前ロータリー。ものすごく小さく、自転車があふれている感じ。まぁ、過度に自動車依存ではない感じがして、いいとおもいますが。



そんなこんなで、無事にJR東海完乗を果たしてきました!このあとは、半田にもどって、碧南から名鉄で豊田まで北上して、名古屋方面へと向かいました。こちらは機会があればまたということで…